半日で見どころを制覇!エルミタージュ美術館の有名作品をすべて巡るモデルコースを大公開

サンクトペテルブルグ
 

ルーブル美術館、メトロポリタン美術館と並んで世界3大美術館のひとつといわれるエルミタージュ美術館

ロシアの古都サンクトペテルブルグにあるこの美術館は冬宮殿、小エルミタージュ、大エルミタージュ、新館(旧参謀本部)の4つの建物から構成され、延べ23万平方メートルという広大な館内に、1,013,653点もの絵画・彫刻作品と200万点もの考古学品、貨幣、武器などが展示されています。

エルミタージュ美術館の全作品を見ようと思うと、1週間以上かかるとも言われていますが、教科書に載っているような有名作品や必見の部屋に絞って効率よく見どころだけを回れば半日で見学することが可能です。エルミタージュ美術館はむしろ半日くらいで楽しむのがベストだと思います。

はじめは豪華な部屋の数々に感動しますがそれもずっと続くと飽きますし、芸術作品も知らない作品も多くあるので、教科書に載っているような有名作品に絞って鑑賞したほうがより密度の濃い、充実した鑑賞ができます。

この記事ではエルミタージュ美術館の有名作品・見どころを効率よく半日ですべて回るモデルコースを紹介します。

目次

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エルミタージュ美術館をより楽しむために、その歴史をおさらい

この素晴らしい美術館が生まれた背景には、偉大な2人の女性の大きな夢がありました。
エルミタージュ美術館をより楽しむために、エルミタージュ美術館の歴史を簡単に解説します。

はじまりはロシア皇帝エリザべータの壮大な夢

この壮大な美の殿堂は、ロシア皇帝エリザべータ・ペトロヴナの夢から始まりました。
1754年、ロシア皇帝エリザべータはロシア皇帝の冬の住居として使うためにサンクトペテルブルグのネヴァ川のほとりに新しい宮殿を立てることを決意します。

彼女は新しい宮殿の美しさがベルサイユなど当時ヨーロッパで名声を得ていた宮殿を凌駕することを望みました。

その夢を叶えるべく、イタリア人の建築家バルトロメオ・ラストレッリ(Bartolommeo Francesco Rastrelli)を招聘し、莫大な費用と国内外から選りすぐった4,000人を超える職人、さらに8年間もの年月をかけて、壮大なバロック様式の宮殿を築きました。

当時の記録では、豪華な装飾が施された460以上の部屋数を誇る美しい宮殿でしたが、エリザべータがこの宮殿で過ごすことができたのは僅かな時間でした。病に侵されたエリザベータは宮殿の完成した年に息を引き取ります。

皇帝を夢見た田舎の少女ソフィア

エルミタージュ宮殿の建設着手から遡ること25年。

1729年にドイツの田舎の貴族の家にひとりの女の子が生まれます。彼女の名前はソフィア、凄まじい向上心と天才的な頭脳の持ち主だった彼女は徹底的に知性と教養を磨き、人脈を頼りにヨーロッパの社交界を駆け上がります。

そして若くして亡くなった彼女の叔父がロシア皇帝エリザべータ・ペトロヴナの婚約者だった縁でエリザべータに接触、エリザべータに取入ることで、ついにエリザべータの後継者であるピョートル3世と結婚することに成功しました。

生粋のドイツ人であったソフィアは、ロシア皇族や民衆の支持を得るために、ロシア正教に改宗し名前もエカテリーナ二世に改名、ロシア語も習得して、徹底的にロシア人になる努力をします。

そしてエリザべータの死後、培った教養と天性の才能でロシアの軍隊や民衆の支持を得たエカテリーナ二世は夫であるピョートル3世から皇位を奪い、34歳でロシア皇帝になりました。

そして彼女のすぐれた統治で経済力や軍事力が大きく向上し、ロシアはヨーロッパの列強にのし上がります。

エカテリーナ二世はエリザべータが手掛けた冬宮殿をネオクラシック様式に改装、さらに冬宮殿の隣に小エルミタージュや大エルミタージュを増築し、渡り廊下で結びました。さらにヨーロッパ中から膨大な芸術作品を買い集め宮殿内に飾りました。

これが現在のエルミタージュ美術館の礎になっています。

それでは、この2人の女性の夢から生まれたエルミタージュ美術館をさっそく見学しましょう。

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エルミタージュ美術館本館の見どころを制覇するモデルコース

エルミタージュ美術館本館(冬宮殿、小エルミタージュ、大エルミタージュ)の見どころを半日で回るモデルコースを紹介します。
旧参謀本部にある新館の有名作品の回り方については、この後に紹介します。

このモデルコースを回るのに要する時間は約2時間半です。
これは有名作品や必見の部屋は5~10分くらいかけて鑑賞して、それ以外の芸術作品は1分程度眺めた場合の所要時間です。

オーディオガイドを借りて、がっつり解説を聞きながら回る場合は倍くらいの時間を確保してください。

このモデルコースは美術の教科書に出てくるような芸術家の芸術作品や必見の部屋はすべて網羅されていますが、これに加えて興味のある芸術作品や展示(考古学品、貨幣、武器など)があれば、途中でモデルルートを外れて見に行ってください。

ブドゥアール、黄金の間、孔雀石の間、ニコライ二世の図書館については、混雑時に一方通行になる場合がありますので、 その場合は少し遠回りして部屋の反対側の入口に回ってください。

エルミタージュ美術館本館マップ(1F)

それでは入口から案内開始です。

エルミタージュ美術館本館は当日券Eチケットで入口が異なっています。このページではEチケットで入場した場合を想定したモデルコースになっています。

当日券で入場した場合、入口はマップの01番の部屋になります。青い矢印の線に従って本館2階に上がり、そこでモデルコースに合流してください。

Eチケット入口

エルミタージュ美術館本館マップ(1F)の105番の部屋が、Eチケット保持者の入口になります。
入口を入ると、すぐに金属探知機やX線装置があるので、そこでセキュリティーチェックを受けます。

セキュリティーチェックを超えると、クロークがあるので不要な荷物やコートがある場合には、そこに預けます。クロークは無料で利用できます。

クロークの反対側に、展示室に入るための自動ゲートがあるので、そこでEチケットの2次元コードをかざして入場します。

自動ゲートを通過したら、赤い矢印に従って「大使の階段」を目指しましょう。

なおEチケット入口から大使の階段に向かう途中にエジプト文明遺跡からの出土品や本物のミイラを展示した古代エジプトの間を通ります。もし興味がこちらも併せて見学しましょう。

大使の階段(ヨルダンの階段)

大使の階段(ヨルダンの階段)

さっそく壮大な階段を見学したい所ですが、大使の階段に到着したらすぐ近くにあるトイレに行きましょう。ここから先はトイレがありません。

またこの大使の階段はエルミタージュ美術館見学の起点になるので、館内で迷子になったらこの大使の階段を目指しましょう。

大使の階段はエリザべータの命によりバルトロメオ・ラストレッリ(Bartolommeo Francesco Rastrelli)によってつくられました。

その後1837年に冬宮殿を襲った大火災によって焼失し、現在のものはロシア人建築家ヴァシーリー・スターソフ(Vasily Stasov)によって再建されました。スターソフはラストレッリの様式を受け継いだ建築家です。

天井にはオリンポスの山が描かれていて、光や薄日をうまく描いたり鏡や金箔を巧みに用いることで、実際よりも天井が高く見えるようにしています。

日本のガイドブックに記載されている「大使の階段」という名前は18世紀に呼ばれていた名前で、現在は「ヨルダンの階段」と呼ばれています。

ヨルダンの階段の由来ですが、ロシア正教ではヨルダン川でイエス・キリストが洗礼をうけたことに由来して毎年「キリスト公現祭」の日に凍ったネヴァ川の氷を切り開く行事があり、この行事の際にエルミタージュ宮殿の聖遺物がこの階段を通ってネヴァ川に向かうので、ヨルダンの階段と呼ばれるようになりました。

エルミタージュ美術館本館マップ(2F)

大使の階段を上がったら、2階のマップの矢印に書かれた順路に従って進みます。

将軍の間 (193番)

将軍の間

大使の階段の先にあるのが、将軍の間です。

将軍の間は、ここから続く貴賓を迎える一連の部屋の最初あたります。壁にロシアの著名な将軍の肖像画が掲げられている所からこの名前が付いています。

この部屋は3階まで吹き抜けの構造になっていて、2階と3階の間は小さなバルコニーで区切られています。

また、この先にあるピョートル大帝の間や大使の階段に続く扉の横には、象徴的な列柱が立っています。この列柱は視覚的にその先に続く部屋との境界を演出することで、訪れる者にその先にあるピョートル大帝の間がより神聖な場所のように感じさせる効果があります。

広間にぶら下がる巨大なシャンデリアは必見です。

ピョートル大帝の間(194番)

ピョートル大帝の間

皇帝との謁見に使われた広間です。

壁一面が双頭のワシの紋様で埋め尽くされていますが、王座のある空間の上にあるワシの紋様に比べて、壁の紋様を小さくすることで視覚的に広い空間のように感じさせる工夫がされています。

王座の背後にある象徴的な絵画はピョートル1世と女神ミネルヴァを描いたものです。またアーチ天井の左右に描かれている絵は北方戦争におけるlesnayaの戦いとpoltavaの戦いを描いています。

床は9種類の木材を用いた美しい寄木細工で装飾されており、必見です。

紋章の間(195番)

紋章の間

紋章の間は、創建当時は幅10メートルの部屋でしたがその後幅が2倍に拡張されて現在の姿になりました。また部屋の装飾もバロック様式から古典主義に変更になっています。

紋章の間には、槍と月桂樹の花輪で装飾された4体の彫像が置かれています。

各彫像にはロシアの各県の紋章が8県分づつ掲げられており、4体の合計で32あるすべての県の紋章になります。そこから紋章の間という名前が付けられています。

祖国戦争の画廊(197番)

祖国戦争の画廊

祖国戦争の画廊は、ナポレオンとの闘いでの勝利を記念して造られました。壁一面には、戦争で戦った将校たちの肖像画が並んでいます。

この画廊を企画したのは戦いに勝利したロシア皇帝アレクサンダー1世でしたが、実際に実現したのは彼の兄弟と後継者である皇帝ニコラス1世でした。

上の写真は、祖国戦争の画廊に肖像画が掲げられている将校の一人ですが誰だか分かりますか?

正解はロシアの名物料理ビーフストロガノフでお馴染みのストロガノフ伯爵です。

肖像画は若かれし頃のストロガノフ伯爵ですが、晩年、年老いて歯が無くなり好物の牛肉を食べられなくなったストロガノフ伯爵がコックに歯が無くても食べられる牛肉料理を作るように命じて、出来たのがビーフストロガノフと言われています。

ビーフストロガノフはここサンクトペテルブルグ発祥の料理ですので、エルミタージュ美術館の見学が終わったらぜひ食べに行きましょう。

聖ゲオルギーの間(198番)

聖ゲオルギーの間

冬宮殿で最も荘厳な部屋がここ聖ゲオルギーの間です。

この部屋の歴史は皇帝の住いである冬宮殿とエカテリーナ2世のコレクションを収蔵した小エルミタージュおよび大エルミタージュ宮殿を結ぶために建設した大理石の画廊に遡ります。

大理石の画廊は1795年に完成し、白大理石やパールレッド、パールブルーの大理石で装飾された荘厳なホールでしたが、1837年の大火災で焼失し現在の姿で再建されました。

聖ゲオルギーの間の見どころは、16種類もの貴重な木材を使用して制作された寄木細工の床と見事な天井の装飾です。天井と床には同じ模様が鏡写しになるように描かれています。

パビリオンの間(204番)

パビリオンの間

小エルミタージュにあるこのパビリオンの間は、エカテリーナ2世のプライベートエリアとして建設されました。

現在残るパビリオンの間は19世紀半ばにロシアの建築家アンドレイ・シュタケンシュナイダーによってデザインされたもので、ローマの古代遺跡を模擬した装飾等で飾られています。

エカテリーナ2世の時代の物として残るのが、中央に置かれたクジャク、フクロウ、鶏をモチーフにした巨大な仕掛け時計で、一週間に一度だけ、実際に動く姿を見ることができます。

この時計はエカテリーナ2世(大帝)の愛人だったグリゴリー・ポチョムキンがエカテリーナ2世に贈った物とされています。

レンブラントの間(254番)

ダナエ

バロック時代を代表するオランダ人画家、レンブラントの作品を展示した部屋です。

レンブラントは代表作「夜景」で知られるように、光と影によって題材としたシーンを劇的に描画し、見る者の心を掴み、感情を揺さぶる絵画を生み出した画家です。

ここではレンブラントの多くの有名作品を見ることができますが、特に下記の4点は必見です。

  • ダナエ
  • 春の女神フローラに扮したサスキア
  • ハマンの非難(ダビデとウリヤ)
  • 放蕩息子の帰還
春の女神フローラに扮したサスキア
ハマンの非難(ダビデとウリヤ)
放蕩息子の帰還

スペイン天窓の間(239番)

アントニア・サテラの肖像

スペイン絵画を展示した部屋です。

この部屋で必見の作品はスペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが描いた「アントニア・サテラの肖像」です。

肖像画のモデルになっているアントニア・サテラは女優で類稀なる美貌で人気を博しましたが、結核により36歳という若さでこの世を去りました。

大イタリアの間(239番)

ヴェネチアにおけるフランス大使のレセプション

18世紀のイタリア絵画を展示した部屋です。

この部屋で必見の絵画はカナレット作「ヴェネチアにおけるフランス大使のレセプション」です。

カナレットはヴェネチア出身の画家で、同じく画家であった父親から遠近法を学び、それを用いてヴェネチアの美しい風景を描いた作品を多く残しました。

この作品の面白い所は、透視図法を用いているため左右双方から見ると違った構図の絵に見えます。

右から見た絵
左から見た絵

イタリアン・キャビネット(232番)

17世紀のイタリア絵画を展示している部屋です。

ここにはイタリア・バロックを代表する画家カラバッジョの主要作品のひとつ「リュートを弾く若者」が展示されています。

イタリアン・キャビネット(230番)

「リュートを弾く若者」からさらに2部屋進んだ先にある部屋です。

こちらにはイタリア・ルネサンスを代表する画家・彫刻家であるミケランジェロの芸術作品「うずくまる少年」が展示されています。

ラファエロの間(229番)

聖家族

イタリア・ルネサンスを代表する画家ラファエロの作品が展示されている部屋です。以下の作品を見ることができます。

  • コネスタビレの聖母
  • 聖家族

レオナルド・ダ・ヴィンチの間(214番)

ミケランジェロと同じくイタリア・ルネサンスを代表する画家レオナルド・ダ・ヴィンチの作品が展示されている部屋です。 以下の作品を見ることができます。

リッタの聖母
  • ブノアの聖母
  • リッタの聖母

ラファエロの回廊(227番)

ラファエロの回廊

ローマのバチカン宮殿にあるラファエロの回廊を複製したもので、1792年にエカテリーナ2世のために作られました。

バチカンにあるオリジナルの回廊と同サイズで高さ8m、長さ65mあり半円のアーチで区切られた13の区画で構成されています。

それぞれの区画の天井には、聖書を題材にしたシーンが4点づつ描かれています。そのうち48点が旧約聖書にもとづくシーンで、残り4点が新約聖書のシーンです。

天井の絵画とは別に、聖なるシーンが描かれたブロンズレリーフのようなグリザイユ画が壁の鏡の下にも描かれています。

バチカン宮殿のラファエロの回廊にある紋章は教皇の紋章ですが、エルミタージュの回廊にある紋様は双頭のワシに置き換えられています。

ヴァン・ダイクの間(246番)

自画像

17世紀に活躍したフランドルの代表的な画家ヴァン・ダイクの作品を展示した部屋です。

ここでの必見作品はイケメン画家として名高いヴァン・ダイクが自身を描いた「自画像」と「モートン伯爵夫人アンナ・ダールキスとアンナ・カーク嬢」です。

ルーベンスの間(246番)

ローマの慈愛

バロック時代に活躍したフランドルの画家ルーベンスの作品を展示した部屋です。上の画像は「ローマの慈愛」という作品

ブドゥアール(306番)

ブドゥアール

皇帝アレクサンドル2世(Alexander II)の妻、マリア・アレクサンドロヴナ(Maria Alexandrovna)の住いの一部として作られたのが、このブドゥアールです。

第2期ロココ調デザインのこの部屋は建築家ハラルド・ボッセ(Harald Bosse)の手によって、1853年に完成しました。

壁や家具にはシルクと金属繊維を使った錦織が使われており、快適かつ洗練された印象を与えます。

黄金の間(304番)

黄金の間

黄金の間もマリア・アレクサンドロヴナ(Maria Alexandrovna)の住いの一部として、1838年から41年にかけてロシアの芸術家アレクサンドル・ブーロフ(Alexander Briullov)によって作られました。

その後、1840年代に芸術家アンドレイ・シュタケンシュナイダー(Andrei Stakenschneider)によって改装が行われ現在の姿になっています。

壁やドアは一面金メッキされ、唐草模様の浮彫の装飾は、大理石でできた暖炉にまで及んでいます。天井の縁取りもすべて金メッキされています。

ニコライⅡ世の図書館(178番)

ニコライⅡ世の図書館

壁一面が本棚で覆われたこのニコライⅡ世の図書館はロシア最後の皇帝ニコライⅡ世の居室として、1894-95年にアレクサンドル・クラソヴスキー(Alexander Krasovsky)の手によって作られました。

この部屋にはイギリス・ゴシックのモチーフが多用されていて、クルミ材で作られた組天井も四葉のモチーフで装飾されています。

金刺繍の皮や精巧な装飾パネルで作られた調度品、透かし細工の窓で飾られたこの部屋に入ると中世の時代にタイムスリップした気分になります。

孔雀石の間(189番)

孔雀石の間

孔雀石の間は、応接室として使用された部屋でロシアの芸術家アレクサンドル・ブーロフ(Alexander Briullov)によって1838年に作られました。

もとは18世紀にロシアで活躍したフランス人建築家で聖イサアク大聖堂も設計したオーギュスト・モンフェラン(Auguste Montferrand)によってデザインされた部屋でした。部屋はグレーバイオレットの碧玉で装飾されていましたが、1838年の冬宮殿の大火災で焼失。その後アレクサンドル・ブーロフによって再建されました。

再建にあたって、当初アレクサンドル・ブーロフはグレーバイオレットの碧玉を用いる予定でしたが、当時の皇帝ニコライ1世が孔雀石(マラカイト)を使うことを望んだため、孔雀石の装飾に変更されました。

この先、コンサートホール、ニコラスの間を抜けるとスタート地点である大使の階段に戻ってきます。

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新館(旧参謀本部)の見どころを回るモデルコース

現在、モネ、セザンヌ、ルノワール、ピカソなど印象派以降の画家の芸術作品はエルミタージュ美術館本館と宮殿広場を挟んで向かいにある旧参謀本部ビル(General Staff Building)の中に作られたエルミタージュ美術館新館に展示されています。

エルミタージュ美術館新館の各階は中央が吹き抜けの構造になっており、その周りに展示室が配置されています。

エルミタージュ美術館新館の有名作品はすべて4階に集まっているため、 新館に入場した後エレベータで4階に上がり、4階のフロアを一周すると以下に紹介する有名作品をすべて鑑賞することができます。

クロード・モネの部屋(403番)

印象派の画家として必ず美術の教科書に登場するクロード・モネの作品を集めた部屋です。特に以下の3作品は必見です。

庭の女性

印象派の画家達が何を表現したかったのか、その一端を感じることができる作品です。

光を表現することを目指した印象派らしく、絵を見ていると初夏の輝く日差しの中に佇んでいるような錯覚を感じます。

ウォータールー橋

ウォータールー橋

ロンドンにあるウォータールー橋を描いた作品です。ウォータールー橋はモネが好んで題材にしており、ウォータールー橋を描いたモネの作品は40作以上あります。

積みわら

積みわら

こちらもモネが好んで題材にしていて、積みわらの連作は30作品ほど作られたと言われています。

ルノワールの部屋(407番)

フランス印象派の画家オーギュスト・ルノワールの作品を展示した部屋です。ルノワールの充実したコレクションを鑑賞することができます。

ジャンヌ・サマリーの立像

ジャンヌ・サマリーの立像

ルノワールの代表作のひとつです。この有名作品のモデルになっている女性は女優のジャンヌ・サマリーで、ルノワールは彼女をモデルに多くの絵を描きました。

髪を結う女

髪を結う女

扇子を持つ女

扇子を持つ女

庭の中

庭の中

扇子を持つ女の数年後に描かれた作品です。

絵の中の女性は当時26歳のルノワールの妻アリーヌ・シャリゴで、男性はルノワールの友人です。

アリーヌ・シャリゴは若い仕立て屋でしたが、たびたびルノワールのモデルになり、その後にルノワールと結婚します。この絵は新婚当時に描かれた絵ですが、実はルノワールは超年の差婚(ルノワールは44歳、 妻アリーヌは26歳)で、年老いた自分はカップルの絵のモデルに相応しくないと考え、友人に相手役をお願いしてこの絵を描きました。

ポール・セザンヌ(409番, 410番)

後期印象派を代表するフランスの画家ポール・セザンヌの作品を展示した部屋です。セザンヌの代表作のひとつサント=ヴィクトワール山などの有名作品が展示されています。

パイプをくわえた男

パイプをくわえた男

サント=ヴィクトワール山

サント=ヴィクトワール山

ポール・ゴーギャンの部屋(412番)

果実を持つ女

フランスのポスト印象派の画家、ゴーギャンの作品を展示している部屋です。

楽園を求めてタヒチに渡ったゴーギャンは、そこでタヒチの人々を描いた多くの作品を残します。ポール・ゴーギャンの部屋には「果実を持つ女」をはじめ9作品が展示されています。

フィンセント・ファン・ゴッホの部屋(413番)

アルルの女達

オランダのポスト印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホの作品を展示した部屋です。
アルルの女達は必見です。

20世紀初頭のフランス絵画の部屋(436番)

ジャングル、虎と野牛の戦い

エルミタージュ美術館新館の「20世紀初頭のフランス絵画の部屋」でアンリ・ルソーの作品3点をみることができます。

アンリ・ルソーは他の職業画家と異なり、本業は公務員で独学で絵を学び趣味で絵を書いていました。

「ジャングル、虎と野牛の戦い」はアンリ・ルソーのイマジネーションから生まれた作品のひとつです。

リュクサンブール公園、ショパン記念碑

ピカソの部屋(434番)

キュビスムの巨匠、パブロ・ピカソの作品を展示した部屋です。

マンドリンを弾く女

マンドリンを弾く女

マティスの部屋 (440番)

ダンス

エルミタージュ美術館新館のハイライトがこのマティスの代表作「ダンス」と「音楽」です。この2連作の絵画は人類の「黄金時代」をテーマにしたシリーズの一部で、1908年から1913年に描かれたマティスの作品の中で最も重要で最も有名な作品です。

この作品は19世紀後半から20世紀初頭のフランス絵画のコレクターであったSergey Shchukinの依頼によって1910年に制作され、1917年のロシア革命までこの絵は彼のモスクワの大邸宅の階段に飾られていました。

マティスがこの作品を描く前にも同様の作品を描いており、同じ構図の絵がニューヨーク近代美術館にもありますが、1910年に描かれたこのダンスはその表現力と情熱が反響を呼び、名声を獲得しました。

マティスの「ダンス」はまだ文明化されていない時代に行われていた儀式的な性質を帯びた踊りに着想を得ています。地上と宇宙、そして儀式で狂乱する人物がひとつになり、それが赤と青と緑の見事な調和によって表現されています。

五体の輪郭はしっかりと描かれていますが、一方で歪んでおり、情熱と興奮、すべてを消費するリズムの力を表しています。

素早く動く踊りの輪は、身体を抑圧されていない命の力で満たし、赤は体から発する熱を象徴しています。五体は宇宙の深い青の中で踊り、緑の丘はダンサーのエネルギーで満たされ、足の下に沈み、跳ね返ります。

全てが調和した絵の中で五体は遠心力と求心力が釣り合っており、本能と意識も一つになっています。マティスの「ダンス」には、題材が必要とするもの以外に余分なものが何もない見事な作品です。

音楽
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QA

エルミタージュ宮殿の見学に必要な時間はどのくらいですか?

エルミタージュ美術館は2回訪れていますが(1回目はひとり、2回目は家族と一緒)、途中休憩をはさみながら見学して、本館は2時間半~3時間半、新館は1時間~1時間半くらいかかりました。
オーディオガイドを借りてじっくり見学すると倍くらいの時間がかかると思います。

エルミタージュ宮殿はどのくらい混雑しますか?

1回目は11月下旬の日曜午前に見学しましたが、その時は非常に空いていてゆっくりと見学できました。2回目は5月のGW期間中の平日に訪れましたが、1回目の時に比べてかなり混雑していました。ただ、人込みで前に進めないという状態ではなく、何とか自分達のペースで見学できました。

11月下旬の日曜午前のラファエロの回廊の様子

5月のGW期間中の平日のラファエロの回廊の様子

美術館内の撮影は可能ですか?

フラッシュ撮影と三脚を用いた撮影は禁止されていますが、通常の撮影であれば「黄金の間」を除いて可能です。

美術館内にトイレはありますか?

本館は大使の階段のそばにトイレがあります。それ以外にもトイレがあるという噂ですが、見学中は全然見つかりませんでした。

新館は各階にトイレがあります。

美術館内でご飯は食べられますか?

美術館内にカフェがあるので、そこでご飯を食べることは可能ですが、混んでいる上に値段も高いので美術館の外で食べることをお薦めします。本館から新館に移動する際に外でランチを取るか、ランチの後にエルミタージュ美術館に入ることをお薦めします。

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エルミタージュ美術館ガイド

基本情報

営業時間・休館日

営業時間: 10時30分~18時00分 (水・金曜は10時30分~21時00分)
※最終入場は閉館の1時間前まで

休館日 : 毎週月曜日 1/1、5/9

料金・Eチケット情報

当日券  :700ルーブル
Eチケット :17.95ドル(1日券)、 23.95(2日券)
Eチケットはエルミタージュ美術館公式サイトから購入可能です。有効期限は180日です。  

以下の日は入場無料
・毎月第3木曜日
・3/8
・5/18
・12/7

館内ルール

エルミタージュ美術館内では以下の行為が禁止されています。
・喫煙
・飲食物の持ち込み
・液体の持ち込み
・荷物及びカバンの持ち込み
・館内でのコートの着用
・ペットなどの動物の持ち込み
・フラッシュ撮影

アクセス

メトロ5号線 アドミラルテイスカヤ駅から徒歩10分

エルミタージュ美術館本館入口(当日券)

エルミタージュ美術館本館の入口(当日券での入場の場合)は、ロシアの国旗が掲げられている冬宮殿の中央のファサードを通った中にあります。

エルミタージュ美術館本館入口(Eチケット)

エルミタージュ美術館本館の入口(Eチケットでの入場の場合)は、小エルミタージュと大エルミタージュの間にあります。  

エルミタージュ美術館新館入口(当日券&Eチケット共通)

新館の入口は、上記の画像の赤矢印で示した場所に下記の写真の入口があり、そこから入ります。

それでは、エルミタージュ美術館をぜひ楽しんでください。

◆ロシア旅行に役立つ記事はこちら

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